|
スレッドが大きくなってしまったので新しくします、話題も麻吹淳子に移ってきていますので。
いし様の仰るとおり、石井雪江がオーディションで優勝した時の3位が麻吹淳子でした。まだ榊淳という名前でした。
榊淳は元々東映の作品に何本か出演していました(日本映画情報システム調べだと3本)。だだ、チョイ役だったらしく「日本映画データベース」では1本しか記録がありません。おそらくもっと出演機会を増やしたい、良い役をやりたいということでオーディションに応募したのでしょう。
日活でのデビュー作は「宇能鴻一郎のあつく湿って」(昭和54年11月10日公開)です。この時は「榊淳」の名前で出演しています。ただ、これも出演者の順列が後ろの方で「日本映画データベース」には名前が載っていません。 その次の出演作が12月8日公開の「快楽昇天風呂」になります。ここで初めて「麻吹淳子」という名前が出てきます。
この2作品については映画の友昭和54年12月号に載っています。ただ、グラビアについては2本とも「榊淳」で紹介しています。おそらく「映画の友」編集部が榊淳→麻吹淳子の改名について情報を共有しきれていなかったものと思われます。「快楽昇天風呂」のグラビアでな榊淳と表示してあるのに、シナリオ紹介では麻吹淳子になっています、映画の友が混乱していたのでしょうね。
この後、麻吹淳子は「昭和エロチカ 薔薇の貴婦人」「宇能鴻一郎のホテルメイド日記」に出演、そうして満を持して(かな?)初の主演作「団鬼六 白衣縄地獄」に出演することになります。「〜白衣縄地獄」の公開は年が明けて昭和55年5月7日です。Y様が麻吹淳子のデビューがオーディション翌年?と思われていたのは「〜白衣縄地獄」を鑑みてのことかも知れませんね。まあ、これがSM女王麻吹淳子のSMデビュー作ですから。
その後、皆さんご存じの通り彼女はSMの女王として日活を支えることになります。オーディション3位からの大出世になりました。 でも何故3位だったのでしょうか?その後の活躍を見れば1位でもよかったのに・・・・。
まあ、選ぶ側の日活としては女優経験者を1位にするよりも素人を1位にした方がオーディションが華やかになると考えたのでしょうね。当時、石井雪江は19歳、麻吹淳子は25歳でしたから・・・。
こう考えるとこのオーディション、プロ野球のドラフトに通ずるものがあるように思われます。ドラフトにもいろいろ有りますが、例えば1・2位は将来の4番候補・エース候補として高校生を指名し、3位以下は即戦力となる社会人を指名するといった感じです。
これをこのオーディションを当てはめると1・2位は演技経験はないが将来はロマンポルノを背負ってたつエース候補として石井雪江・横山友里子を1・2位にし、即戦力として既に女優経験者の麻吹淳子を3位にしたということなのでしょう。
そしてその後は、石井雪江嬢が5本の出演で主演が1本だけに対し、麻吹淳子は即戦力どころか日活の大エースになったという面白い結果になりました。
まあ、プロ野球でも必ずしもドラフト上位の選手か全て活躍できるわけではなく、下位氏名の選手でも大エースや絶対的4番になるのは頻繁にあることなので驚くようなことではありませんけどね。
ただ、残念なことに私は麻吹淳子の出演作は「女教師縄地獄」しか見ておりません。彼女のことはグラビアでしか評価できないのがちょっと残念です。
追伸)Y様 手紙は届いたでしょうか?まだ届いてないとすれば手紙はどこかで迷子になっています。その場合は次の手を考えたいと思います。 |